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四天王寺の起源ー(4)


2025.01.23

太子の父用明天皇の病改善の為に祈った薬師如来信仰がこの時代より始まっています。また日本で最初の宗教戦争となった物部神道と蘇我馬子率いる仏教との戦いの際に、仏教派の中にいた聖徳太子は、戦の途中信貴山に入り仏教の守り神四天王に祈願し勝利を得た。

太子は、その時戦に負けた物部派の兵隊を処刑することなく、四天王寺の建築に協力をさせたと言う記録が残っています。そのようにして建設された四天王寺は、仏教寺院としての役目だけではなく、病気治療を治す病院と孤児院や福祉施設まだ備えつけたお寺でした。

聖徳太子の医療思想は、「慈悲」と言う仏教的な観点から他者への思いやりと「祈り」に基づいてたのです。

その当時は、仏教僧が医療技術を学び身体的治療にとどまらず精神的な医療活動をもしていた記録が残っています。

それから約1000年後の1641年に長崎の出島にオランダ人医師より本格的に西洋医学が伝えられ、日本の漢方医学を学んだ医師たちが西洋医学を学び始め日本の医療の基盤を築くてきたのです。

四天王寺は、推古天皇元年(593)に建立されました。今から1400年以上も前のことです。『日本書紀』の伝えるところでは、物部守屋と蘇我馬子の合戦の折り、崇仏派の蘇我氏についた聖徳太子が形勢の不利を打開するために、自ら四天王像を彫りもし、この戦いに勝利したら、四天王を安置する寺院を建立しこの世の全ての人々を救済する」と誓願され、勝利の後その誓いを果すために、建立されました。

絵堂第四面の聖徳太子絵 (→ 絵堂)


その伽藍配置は「四天王寺式伽藍配置」といわれ、南から北へ向かって中門、五重塔、金堂、講堂を一直線に並べ、それを回廊が囲む形式で、日本では最も古い建築様式の一つです。

その源流は中国や朝鮮半島に見られ、6~7世紀の大陸の様式を今日に伝える貴重な建築様式とされています。

四天王寺伽藍配置

四天王寺元和再建伽藍図