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西洋医学の伝来ー(5)


2025.01.24

江戸時代 の1639年、徳川幕府より日本を守るために鎖国令が、公布された。

当時、長崎の出島のみが、唯一西洋からの文化や技術の窓口の関所なり、出島の中にオランダ商館が作られていました。

その時、オランダの貿易船に乗ってやってきたオランダ人医師達からオランダ医学と呼ばれる西洋医学が、日本に本格的に伝えられ始められました。

それは、当時の日本の漢方医たちが見たこともない人体解剖図の「解体新書」(1774)の外科医学書でした。

この書は、杉田玄白らが1771年にその原本となった「ターヘル・アナトミア」(1734年、オランダ人医師ラルドゥス・ディクテン著)を3年をかけて翻訳したものでした。
また、この書の出典をさかのぼると1722年のドイツ人医師ヨハン・アダム・クルムス著「Anatomische Tabellen」の翻訳本でした。

(写真-2)(神奈川歯科大学図書館ウェブサイトより)

当時、この解剖図を見て、日本人医師はさぞ驚いたでしょう。

そして、この解剖されている人物が誰であるかを知るものは多分いなかったでしょう。

 

このポーズの意味を知っている人は、かなりのマニアックな人ですね。

ダヴィンチは、この絵によって『天を指す人差し指』は、洗礼者ヨハネによる「見よ、神の小羊」のポーズであったことを伝えたのです。

このポーズが、あることにより、この解剖図の出所は、1500年頃に書かれたレオナルドダヴィンチの解剖学手稿Bではないかと勝手に考察しています。