2025.01.25
江戸時代末期、最先端医療を目指す日本の漢方医たちは、西洋医学の 最新治療情報を学ぶ為に長崎出島のオランダ商館に集まり始めました。
そこでは、オランダ人医師のヤン・クルテンらは、日本人医師に天然痘の治療法や 外科手術を教えていました。その後、ドイツ人医師のシーボルトらが、長崎に「長崎養生所」を 設立し、西洋医学の 教育の中心地となりました。
このような時代背景の中で、最も大切な事は、民族の壁を越えそこに集まった医師達に最新の医療を伝えたオランダ人医師(名前からユダヤ人系)たちと最良の医療を患者に施す為の医療技術を学ぼうとした日本人医師達の志の精神ではないでしょうか。
初代「得寿堂」の大串春園もオランダ医学を学んだその一人でした。
(御殿医としての初代「得寿堂」)
当時、長崎出島を監視するために、江戸幕府の命令で、九州の藩主や家老が、交代で警備の任務を担っていました。
この役割を「長崎警備」と呼び、
佐賀藩(鍋島家).平戸藩(松浦家).大村藩(大村家).福岡藩(黒田家).熊本藩(細川家) 、島原藩(松平家)が交代で担当していました。
大串春園の得寿堂の診療所のあった長崎の深堀には、幕府の命令で、佐賀藩より30代鍋島茂鹿氏が、城を構え軍備と家来を揃えて君臨していました。
(写真-4)家系図
母の曾祖父にあたる大串春園は、当時の最先端の西洋医学を学び1860年初代「得寿堂」を屋号として鍋島茂鹿天主の御殿医でした。
それだけではなく、三女のアイ子が、鍋島茂鹿に嫁入りしています。
その長男31代鍋島茂明の母となっています。
1888年2代目「得寿堂」を受け継いだ春園の次男の大串春礼(菅蔵)(アイ子の兄)は、31代鍋島茂明の伯父にあたり、鍋島藩主の2代目御殿医となった。
春礼もまた、著名な漢方医でその上に出島でオランダ医学も学んでいました。
明治に入り、2代目大串春礼の嫁に入った田代家のタカの一族に男子が無く田代家の名前を継ぐ者がなくなったために、大串春礼の次男の大串良顕が、田代家に養子に入り田代の性を引き継ぎ11代目田代良顕と改名した。
良顕は、長崎医学専門学校を卒業した後、海軍医として 第3艦隊の軍医長を務め海軍大佐となり、日本軍が統治した中国の上海では、医局長を務めた。
当時上海で流行していたコレラ撲滅に奮闘した記録が残っている。
第一次世界大戦終戦後、 3代目「得寿堂」 となり深堀の地にて開院し後に郡議会議員になった。
田代良顕は、一男三女の子宝に恵まれ長男の秀才であった田代泰が、医者になり4代目「得寿堂」引き継ぐ流れになっていたが、大学受験時に第二次世界大戦が勃発する中、父良顕より「こんなご時世になんも医者に成らんでもよか、そのかわり医者より偉かもんに成れ」と言われ、東京大学の物理学を専攻し最新兵器開発の技術者になる道を選び、後に弾道学の権威者として防衛大学の教授に就任し叙勲を受けた。
そのため、歴史ある医者の屋号の「得寿堂」を継ぐものがいなくなった。
長男田代泰の妹の長女田代種子(母)は、東京四谷の雙葉高等女学校の寄宿生となりキリスト教の修道女達と生活を共にしていた。
そこでキリスト教の洗礼を受け、洗礼名ベルナデッタ種子となった。
終戦後、良顕の長女種子のお見合い結婚の相手は、長崎の島原藩医の家系であった田中家の四男の若い医師であった田中四郎に白羽の矢を放った。
私の父である。 九州医療専門学校(現:久留米大学医学部)を卒業後軍医として 中国に出征、 終戦後四郎の兄田中豊一の開院していた「田中医院」に勤務していた。
(写真ー5)兵庫県尼崎市全科田中医院[中央: 田中豊一医院長(ライオンズクラブガバナー)前列右から3人目.父田中四郎.1952年]
このお見合い結婚の話は、直ぐにまとまった。
ただ、この結婚で母から条件が一つだけ出された。
それは、生まれてくる子供全てにキリスト教の洗礼を受けさせる事であった。
その約束通り、姉一人兄弟三人は、全員カトリックの幼児洗礼をうけている。
父は、ミッション系の高校出ていたためキリスト教に対して知識と理解があり、母からのこの要望を承諾し、私たち姉兄弟4人は、皆カトリックの幼児洗礼をうけている。
父は、戦中派の為か、無心論者となっていた事もあり死ぬ直前に洗礼を受けると公言していた。
そして、95歳に老人ホームに神父様が来て洗礼式を行い、(写真-3]
洗礼名ヨゼフとなり他界した。
ちなみに、私の洗礼名は聖ペトロです。
聖書では、3度キリストを裏切り、その後改心してキリスト教会の初代ローマ法王となった人物です。この歴代ローマ法王の歴史が明確に残っており現在は、266代フランシスコ教皇です。
この歴史が、あるがためにイエスキリストの存在が実証され、今でも聖書が世界で最も読まれている本です。
私たちが何気なく使っている西暦もキリストの誕生から始まっています。
キリストの誕生祝うクリスマスの存在は、日本の今の現状では、中身のない商業イベントになってしまっているのは残念です。