2025.01.25
父は、新婚当初兄田中豊一の総合病院田中医院(兵庫県尼崎市)に小児科医として勤務。
神戸大学医学部で博士号を授与されその後、神戸市で小児科田中医院を開業。
その時、母の兄田代泰が、父の元に訪れ、田代家の家宝であった「得寿堂」の看板を父に託し、4代目「得寿堂」を受けか継ぐことに成った。
ただ、父の曾祖の安藤研斎は、代々島原藩松平家の藩医で、安藤家の三男であった安藤豊樹が、私の祖母の松平藩主の娘であつた田中菊間と結婚し婿に入り田中豊樹に改名し医業を営んだ。
二女四男に恵まれ父四郎は、末っ子でした
祖父は、56歳で他界したため、兄豊一が、父の学費を組めんして医者にした後、一族を引き連れ戦中時代に最も栄えていた関西の尼崎市で田中医院を立ち上げた。
兄弟はそれぞれ内科、外科、耳鼻科、小児科、になり、親族には20人以上の医療関係者の存在している。父は、この様な一族の一人であった為、表立って「得寿堂」を表記せずにいた。
田中医院には先代の安藤家の座右の銘として、「仁は腕に在り」が、伝わっていた。本医院でも 田中歯科クリニック開業時に、禅宗の内藤老子により賜った同座右の銘の書を掲げています。(写真-2)
兄田中良樹(医学博士)が、実家の父の医院を新たに立て直し父と世代交代をし田中医院を引き継ぎ医院長となり循環器内科の5代目「得寿堂」となりました。
兄良樹が、昨年2024年74歳で医院長をリタイヤし、次男現役で田中歯科クリニック院長をしている私が、6代目「得寿堂」引き継ぐこととなりました。
「得寿堂」の屋号は、すでに母の妹三好(旧姓田代)清子の長男、三好是久(従兄弟)が、用いており東京千駄木でクリオセラピーの治療家として活躍しています。
今後、私の専門としている最先端の「咬み合わせ治療」と連携していく所存です